秋のドッペルゲンガー

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雀の涙

2007/06/19(火) 23:30:15

 いつ泣いたのかなんて覚えちゃいない
 そもそも男ってのは涙を見せるもんじゃない
 ……なんてことを聞いたような気がする

 年をとれば涙の量が減ってしまうのだろうか
 いや、逆に年をとると涙もろくなるともいう
 
 俺の場合は確実に涙の量が減っている
 水分は人一倍に摂っているはずなんだが

 一生かけて流す涙の総量ってどのくらいだろうか
 何百リットルなのか、それとももっと多くなのか
 一回泣くと何デシリットルなんだろうか
 そもそも、デシリットルって単位は
 どれだけ集まると1リットルになるんだろう
 そんなことさえ分からない

 帰り道、電信柱の脇で雀が死んでいた
 雀の死体を見つけるなんてめずらしいことだ
 そういえば雀ってどこで死んでいるんだろう

 躊躇したけど、その雀を手に取ってみた
 信じられないほど軽くて、まだ子供だった
 
 こんな時に涙を3デシリットルくらい出せばいいのだろうか
 そういえば、雀の涙って言葉があったな
 それは1デシリットルにもならないだろう

 拾った雀は、ダウンジャケットのポケットに入れた
 水鳥の羽に包まれて、あの雀も少しは暖かかっただろう
 多摩川の土手に降り、その雀を埋めてやった
 そうしたら、俺の目から雀の涙ほどの涙がぽろりと落ちた

 その涙の量は、おそらく1デシリットルにもならないだろう

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(2005/3/17)
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コメント

2007/06/19(火) 23:06:53

 ブログでくだらない記事を書いて約1か月が経過した。
 自分の書きたいことだけ書いてきた。
 私にとって、ほぼ、生活の一部となるほどブログは重要なものとなってしまった。

 この歳で、ひとりぐらしということもブログに依存する原因なのかもしれない。
 いや、言い換えれば依存する何かを求めていたということだ。
 そこにブログが入り込んできた。

 ある日、私のブログにこんなコメントが寄せられた。
 
 こんばんは(miki)
 はじめまして!
 いつも、ブログを読ませてもらってます。
 変なおじさんですね 
 私のとこにも遊びに来てね

 
 これを読んだ私は、変なおじさんとは失礼だなと思いつつも、mikiというIDのブログを訪れてみた。

 驚いたことに、そのブログは中学2年の女の子が書いているものだった。
 書いている内容は、中学2年生とは思えないほどしっかりしたもので、私は、とても感心した。
  ピアノの練習のこと、好きな音楽のこと、友達のことなど身近なできごとを飾り気のない文章で綴っていた。
 彼女のブログを読むと、心が洗われ、なにかとても懐かしい気持ちになれた。 

 その日の記事は、友達との関係が上手くいかない悩みを素直な言葉で書いているものだった。
 真剣に友達を思う気持ちが伝わってきた。

 私は、その記事に、ごく簡単な助言を与えるコメントを残した。
 彼女のブログは、大人顔負けの内容を持った素晴らしいものだったが、不思議と私以外には誰からもコメントは寄せられていなかった。
 彼女は、去年の2月24日からブログを書き始めていて、週に一回ほど更新していた。
 今日で1年間続けていることになる。

 翌日、彼女から私のブログにコメントが返ってきた。
 それは、私のコメントどおりにしたところ友達と仲直りができたというものだった。
 
 それから、私と、彼女のブログを通しての不思議な交流が始まった。
 その内容は、とるに足りない日常の出来事についてのものがほとんどだった。

 彼女は着実に成長していた。
 その様子が、言葉の使い方、文章の内容からはっきりと分かる。

 ある日、私が書いたくだらない株式投資の記事に彼女からコメントが寄せられた。

 おじさん、ピアノは上達したの?
 カーペンターズは上手に弾けるようになったかな♪


 自分のブログを見直した。
 私がピアノの練習をしているなんて今まで一度も書いていない。
 なんで、彼女は、こんなことを..... 

 それからも、彼女は、

  私がタバコを吸いすぎること
  コーヒーを飲み過ぎること
  運動不足に悩んでいること
  行列や人混みがきらいなこと

などについて、やんわりと「おじさん気をつけてね。」などと優しいコメントを寄せてくれた。
 私のような中年男のことを心配してくれて、正直嬉しかった。

 いや、待てよ。
 確かに、ブログ上で、自分の悪習なんかについて書いたこともあった。
 でも.....

今日も、彼女からコメントが寄せられた。、

  あの犬を何で連れてこなかったの? 
  あの時、あの真っ白でかわいい子犬を拾ってくれば良かっ たね


 私は、全てを理解した。
 娘が生きていれば、今、中学2年生だ。
 
 今日は娘の命日だった。

 彼女、いや娘のブログを見に行った。

 そこには、
  
  おとうさん、今日でさよならね
  今日で、このブログはお終いにするの。
  とても楽しかったよ!
  今日は来てくれるんでしょ?
  おとうさんにプレゼントがあるのよ


と綴られていた。

 私は、雨の中、車を飛ばし郊外にある墓地に向かった。
 娘の墓の前で、小さな段ボール箱に入った子犬を見つけた。
 真っ白で、とてもかわいい子犬だ。
 私は、その子犬を抱き上げた。
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あたしの風

2007/06/19(火) 23:06:30

あの男性(ひと)がやってきたのは2学期の途中、そうです、そろそろ秋の気配を感じる風が吹き始めるころでした。
教室の大きな窓から吹き込んできた風のようにあのひとはやってきました。

転校生でした。
本当に冷たい風のようなひとでした。
でも、あたしには、その風がとても心地よかったのです。
お風呂に入った後、お散歩に出かけた時に感じる風のように。
クラブ活動を終えた帰り道に、あの丘の上で感じる風のように。
遠足で行った高原で、あたしの頬を一瞬なでる風のように。 あのひとは、遠く遠くから風と一緒にやってきました。 この田舎町よりも、ちょっと都会だったようです。 クラスメイトも、そしてあたしも、その風が教室内で吹くことにためらいがありました。

  だって、 その風は、香りが違ったからです。
  その風は、ぬくもりがなくて冷たかったからです。
  その風は、少し湿っていたからです。

 でも、あたしは、その風に優しさを感じていました。
  あたしは、その風に抱かれてみたいと思っていました。
  あたしは、その風を思い切り吸い込んであたしの中に入れてみたいと思っていました。

いつもは優しいあたしのクラスメイトも、その風が教室に流れ込むことを許しませんでした。

なぜでしょうか。

やはり、
 その風は、香りが違ったからです。
 その風は、ぬくもりがなくて冷たかったからです。
 その風は、少し湿っていたからです。

 あのひとが連れてきた風は、そのうち、すっかり弱々しい風になってしまいました。
 もう風ではなくて、教室にある普通の空気に混ざってしまい、あの香りはなくなってしまいました。
 クラスメイトも、馴染めなかった新しい風が吹かなくなって安心しているようでした。

3年生になっても、あたしはあのひとと同じクラスになれました。
もう、あのひとには、あたしの好きな風を感じることができません。
そして、その日は、突然やってきました。
やっぱり、2学期の途中、そろそろ秋の気配を感じる風が吹き始めるころでした。 
朝のホームルームの時間に、あのひとは教室の前に立って、みんなに別れの挨拶をしていました。
あのひとは、やってきた時とくらべると全然元気がなくて、まるで空気が抜けた風船のようにしぼんでしまったように感じました。

通り一遍のあいさつが終わりました。 
その時、あたしは、あの心地よい風を肌に感じていました。 だから、あたしは立ち上がって、開けっ放しだった教室の大きな窓を急いで閉めました。

この風は、絶対にこの教室から出したくありませんでした。

 だって、 あたしは、その風に優しさを感じていました。
 あたしは、その風に抱かれてみたいと思っていました。
 あたしは、その風を思い切り吸い込んであたしの中に入れてみたいと思っていました。

あのひとは、そんなあたしの姿をちらっと見ると、大きなスポーツバッグを持って、ほとんど無表情で教室から出て行ってしまいました。
あたしのことを、クラスメートが不思議そうに見ていましたけど、そんなことはかまいませんでした。
徐々に、あのひとの風が教室から消えていってしまいました。
なぜだか説明はできないけれど、あたしは教室から出て、あのひとの後を追いかけました。

あのひとの姿はみえなくても、あのひとの後には、あの素敵な香りが残っていました。
あのひとは、あの丘の上に立っていました。 そこには、強い風が吹いていて、あたしは今にも吹き飛ばされてしまいそうでした。
やっと、あのひとのそばにたどり着きました。 あのひとは、あたしに向かって言いました。
でも風が強くて、とぎれとぎれにしか聞こえてきません。

「ぼくの… 風はきみに… でも… ここから離れても… いつか…きみと… この風に気づいたら… いいかい?」

 あたしは、
「もちろんよ。あたしをあなたの風で包んでちょうだい。そして、一緒に連れていって。」
こう言って、目を閉じました。
すると、風があたしの体をすっぽりと包んでいることに気がつきました。

 その時、
 あたしは、その風に優しさを感じていました。
 あたしは、その風にもっと長く抱かれてみたいと思っていました。
 あたしは、その風を思い切り吸い込んであたしの中に入れてみました。

風がだんだん弱くなって、心地よい香りだけがあたしのそばに残っていました。
目を開いて見ると、あのひとはいなくて、丘の下、遠くの方で土埃が舞っているのが見えました。

それ以来、あのひとと連絡はとれていないし、どこにいるのかも分からなくなってしまいました。
でも、あたしは時々、あの丘で風が吹くのを待っています。
あのひとは、絶対にあたしを迎えに来てくれるはず。

その時には、優しい風に抱かれて、そしてその風を思い切り吸い込んであたしの中に入れてみようと思っています。
あのひとは、それを許してくれるはずです。

優しい風であたしを包んで、あなたの住む街に連れていって…。 
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影山さんの想い出

2007/06/17(日) 23:29:47

 影山さんは、あたしの同級生でした。
 高校時代の1年間だけお付き合いをしていました。
 正直に言うと、あたしは影山さんのことをよく覚えていないの。

 同窓会なんかでみんなが集まると、「影山ってさー、名前どおり影が薄かったよな。まったくいるんだか、いないんだか分からないようなヤツだったよ。」
って話になるの。
 影山さんは、どこかに行ってしまって、誰もどこにいるかわかりません。
 でもあたしは、いつか必ず影山さんが会いにきてくれると信じてるの。

 あれは高校最後の文化祭の日でした。
 あたしと影山さんは、文化祭が終わった後でちょっと近くの公園に散歩に行ったの。
 めずらしく影山さんから誘ってくれました。
 公園に向かって歩いていると、日暮れ時だったのでふたりの影がとても長く道路に伸びていたわ。
 でもその影は、あたしのと較べるとなにか影山さんだけ弱い陽に照らせれているように薄かったの。
 あたしは、その時、べつに不思議にも思わなかったし、「やっぱり影山さんらしい影だわ。」なんて変なことを考えていました。

 公園では、ブランコに腰掛けながらいろんなことをお話しをしました。
 将来のこととか、楽しかった思い出とかをです。
 ずいぶんとおしゃべりをしてしまったので、陽は落ちて暗くなってきました。
 いつもはおとなしい影山さんが暗くなるにつれ元気になってきたような感じがしたわ。
 そう影山さんは恥ずかしがりやさんだったの。
 
 影山さんは、突然ブランコをおりてあたしの前に立って、こう言ったの。
 
 「きみとも、今日でお別れだね。本当に楽しかったよ。ありがとう。僕は元いた世界に戻らなければいけなくなったんだ。」

 あたしの前に立っているはずの影山さんの姿がまるで闇夜に溶けていくようにだんだんと見えなくなってきました。
 
 そして、とうとう影山さんの姿が全然見えなくなると、地面に人間の形がした影が浮かび上がったの。
 暗かったのに影が浮かび上がるって変に思うかもしれないけど、まわりの暗さよりも、もっともっと暗い影で、難しい言葉で言うと「漆黒」っていうのかしら。

 その影があたしに話しかけてきたの。
 
 「君のことは忘れないよ。僕はとても天気がいい日に、また君に会いに行くからね。僕の姿は変わっているだろうけど君には僕だと分かるよね。」

 そういって影山さんはいなくなってしまったの。

 もうすぐ季節は春。
 暖かくてよく晴れた日に、あの公園のブランコで待ってるわよ。
 長い影を連れてここに来てね、影山さん。

(gooブログから再掲。寓話を書いてみたくなりました。たぶん筒井康隆の「七瀬シリーズ」のイメージがあったと思います。このオハナシを書いてから、似たようなものを3つほど書いています。どれも同じようなオハナシができるのでかなり焦りました…。) 
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ドッペル・ゲンガー

2007/06/17(日) 23:13:59

 その男の存在に気づいたのは、今年に入ってからだ。
 新年会を終えて、最終列車に乗った時だから、しこたま酔っていた。
 座席でうとうとしながら、どうも俺に似ているヤツがいるなと感じていた。
 そいつは、向かい側の座席の端に座って文庫本を読んでいた。

 世の中には、似ている人間が5人いるなんて聞いたことがある。
 それに、その時は酔っていた。
 それにしても、髪型、服装、体型、足を組む仕草なんか俺にそっくりだった。
 
 それから、ヤツは頻繁に俺の前に現れるようになった。
 地下鉄のエスカレーターですれ違ったり、乗り遅れた電車の窓から無表情で俺の方を
見ていたこともある。
 何回かヤツの姿を見て、ヤツは俺自身であることを確信した。

 ネットでこの現象を調べてみると、くだらない内容を書き連ねているブログに、ドッペル・ゲンガーという記事を見つけた。
 そのブログによると、どうやら自分自身を見てしまう現象があって、そんなことを体験してしまうのは死期が近いことらしい。
 
 バカな、この若さで死んでなんかいられない。
 タバコは吸いすぎだが、体調は健康そのものだ。
 そして、俺には大事な妻がいる。
 結婚してから10年以上経つが、妻の美しさは失われていない。
 いや、ますます美しくなっている。
 この妻のためにも...

 ヤツは、俺の会社の中にも現れるようになった。
 ある日、上司のところに週末に行われる営業会議の決裁をもらいに行った。
 すると、「お前は何回同じ書類を持ってくるんだ。ついさっき私が承認したばかりじゃないか。」と怒鳴られた。
 そんなはずはない...ヤツの仕業に違いない。
 課内の部下からも、「課長、さっきも同じ指示を受けてますよ。」などと言われることが何回かあった。
 ヤツの魂胆は何なのか。

 ある夜、妻を抱こうとした。
 仕事の忙しさを理由に最近はご無沙汰だったからだ。
 すると、妻は、「何よ、あなた。昨日のことをもう忘れたの。毎日って歳じゃないでしょ。」と言った。
 そうだ昨夜俺は残業で帰宅したのは深夜のことだった。
 その時、既に妻は満足そうに寝息をたてていた。
 
 ヤツは俺の家にまで来てる。
 しかも、俺の大事な妻を.....

 もう、怒りを抑えることはできない。
 俺の気持ちは決まった。
 ヤツを消す、そう殺さなければならない。
 ちょうど、今日は俺の誕生日で、妻とホテルのレストランで食事をする予定になっている。
 ヤツの行動パターンから、絶対、ホテルに姿を現すはずだ。

 アウトドアショップに行き、スイス製のサバイバルナイフを買った。
 俺は、妻との待ち合わせよりも早くホテルに向かった。
 
 やはりヤツはいた。
 何食わぬ顔をして、ロビーのソファーに座って新聞を読んでいる。
 まだ俺には気づいていないようだ。

 俺は、いったんホテルを出て、ヤツの背後に回れるように違う入り口からロビーに入っていった。 
 サバイバルナイフは、コートの袖に隠すように右手で握っている。
 
 ヤツのすぐ後に来た。
 俺は、試しに自分の名前を呼んでみた。
 予想通り、ヤツは立ち上がり俺の方を向いた。

 俺は、ヤツの左胸にサバイバルナイフを思い切り突きつけた。
 抵抗無くナイフは根元まで胸の中に入っていった。
 
 俺の前にいたはずのヤツの姿が消えた。
 俺の胸に激痛が走った。
 ヤツが抵抗してきたのか。
 いや違う。
 自分の胸を見ると、サバイバルナイフが深々と刺さっている。

 俺は、ホテルのカーペットに倒れ込んだ。
 サバイバルナイフを胸から抜いた。
 すると心臓の鼓動に合わせて血があふれ出てくる。
 
 薄れていく意識の中で、俺の周りに集まってきた人たちの姿を見た。
 ヤツがいた。
 しかもヤツの隣には、ヤツと腕を組んだ妻の姿があった。
 妻は、血を流して苦しんでいるのが自分の夫とは気づいていないようだ。
 ヤツは、薄ら笑いを浮かべている。

 生き続けるのに必要な血液がなくなってきたようだ。
 本当は、俺は俺じゃなくて、ヤツが本当の俺だったんじゃないのか。
 そんなことを考えていた。

(gooブログからの再掲です。一番最初に書いたアイデアストーリーです。ドッペル・ゲンガーを知っている方にはオチが読め、知らない方にはピンとこないショート・ショートかもしれません。自分自身では上手く書けたと少しだけ思っています。)
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空き家

2007/06/15(金) 23:31:10

 幼いころの記憶っていうものは、かなり曖昧模糊として、時間の概念もめちゃくちゃとなり、頭の中にあるいろんな断片を勝手に結びつけたり、あらたに創作したりして自分勝手なものにしてしまったりする。

 空き家ってのは今の時代もあるが、昔はもっと多かったような気がする。
 そんな空き家は、当時の私たちにとって格好の遊び場だった。
 いたずら仲間と一緒に家の中に入り、マンガを読んだり、ビー玉をやったり、元の居住者が残したわずかな家具…椅子やら、壊れたテレビ、座卓なんかを並べて、「茶の間」を復元したりした。
 私たちにとっては秘密基地のようなものだった。
  
 あの娘は、この空き家に住んでいた。
 正確に言えば、住んでいたなら空き家であるわけがないのだが、気づいた時には空き家だった場所で彼女の家族は暮らしていた。
 このへんの記憶は、おそらく私の頭の中で時間が前後してしまっているのだろう。

 彼女とは同じクラスだった。
 当時クラスの中には、明らかに貧乏な子が数人いたものだ。
 今ではあまり考えられないことだが、ランドセルも買えない、給食費も払えない、お金が必要な課外授業は欠席する…そんな子がいた。

 彼女もそんな貧乏な子だった。
 おしゃれをしたい年頃の女の子なのに、いつも同じ服を着ていた。
 私が覚えているのは、誰かからもらったようなサイズの合わない体操着に黒っぽいスカート姿だ。
 つぎはぎがあったり、汚れていたりしていた。
 髪の毛は、おそらくお母さんに切ってもらったのだろう不揃いのおかっぱだった。
 でも、その髪は豊かでサラサラしていていた。
 時々笑顔を見せると、とてもかわいいえくぼができた。

 子供ってのは、残酷なもので、大多数と違うようなものを忌み嫌う傾向がある。
 かなり辛辣ないじめがあったし、私もその仲間だった。
  
 とにかく、私は彼女をいじめてしまった。
 自分の残酷さを露呈するようだが彼女をいじめるのはとても楽しかった。
 そしてとても悲しいことでもあった。
 いじめをするたび、自分から何かが失われていくような気がした。
 しかし、彼女が失ったものを考えれば、私のそれはあまりにも小さいものだろう。

 いじめにあっても彼女はけっして泣かなかった。
 文句も言わなかった。
 ただ、黙って自分がはいている汚いスカートの裾を両手でいじっていた。

 空き家は彼女が住むようになって空き家ではなくなったが、私の中ではその家は相変わらず空き家だった。
 秘密基地を取られてしまったような感情もあったかと思う。
 そう言って彼女をなじったこともあった。

 空き家の前にはところどころが破れたトタンの壁があった。
 その穴から、中をのぞくと彼女はいつも濡れ縁に座って本を読んでいた。
 学校の図書館から借りたのだろうか、世界名作全集みたいな厚い本だった。
 私は、その姿をずっと見ていた。
 見ていたというよりも見とれていたのだと思う。
 彼女は、すっかりと物語の世界に入っているように見えた。
 ページをめくりながら涙を拭っていた。
 悲しいストーリーだったのだろうか、それとも私たちにいじめられたことを思い出していたのだろうか。
  
 家でも運動着を着ていた。
 黒っぽいスカートは、つぎはぎだらけで汚れていた。  

 彼女の隣に座って、いろいろと話しをしてみたかった。
 いじめたことを謝りたかったが、そんなことをする勇気はなかった。

 いつの日か、彼女はクラスからいなくなった。
 先生によると、事情があって引っ越したとのことだった。
 なんの事情かは分からない。
 貧乏な子、汚い子がいなくなったので、どちらかというとクラスの仲間は喜んでいたように思う。
 いじめの対象がいなくなってしまったことは残念に思ったのだろう。
 でも、ほかの友達がどう思ったのか本当のところは分からない。

 彼女が住んでいた空き家は、本来の意味での空き家に戻った。
 でも、私は、もうその中には入っていかなかった。
 なぜだったのか理由はもう覚えていない。

 彼女がいなくなってからも、私はよくその空き家の前を通った。
 トタンの穴からのぞいてみると彼女が濡れ縁で本を読んでいるかもしれないと思ったからだ。
 もちろん、そこには誰もいなかった。
 
 もっと優しくしていればよかった。
 もっといろんなことを話したかった。
 一緒に濡れ縁に座り世界名作全集を読んでみたかった。

 私は彼女のことを好きだったのかもしれない。
 今頃、そんなことに気が付いた。
  
 彼女は、いつも誰かからもらったようなサイズの合わない体操着に黒っぽいスカート姿だった。
 髪の毛は、おそらくお母さんに切ってもらったのだろう不揃いのおかっぱだった。
 でも、その髪は豊かでサラサラしていていた。
 時々笑顔を見せると、とてもかわいいえくぼができた。

 世界名作全集を読んで泣いていた。
 いじめられると泣きもせず、文句も言わなかった。
 ただ、黙って下を向き自分がはいている汚いスカートの裾を両手でいじっていた。

(gooブログから再掲。すべてではありませんが、幼い頃の記憶をかき集めて書いたものです。ノスタルジックなものを書きたかったのですが、それを上手く伝えることができず難しさを感じました。)
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ベートーベン「交響曲第9番(合唱付き)」

2007/06/15(金) 19:36:19

 夏の満員電車ほど辛いものはない。
 もちろん、どの季節だって通勤電車ってのは嫌なもんだ。

 あと何年、こうやって満員電車に乗り続けなければならないのだろうか。
 朝は、一様に不機嫌な顔をした俺と同類のサラリーマンに囲まれ、両足に履いている靴のサイズだけのスペースをやっと確保している。
 夜は、一様に酒臭いオヤジに囲まれているが、俺自身も同じ酔っぱらいだと思うと余計情けなくなる。
 どっかで聞いた話だが、人間ってのは自分の半径1メートル以内に他人がいるとストレスを感じるらしい。
 動物と一緒で縄張り本能みたいものがあるのだろうか。
 もちろんこれが恋人同士だったら別で1センチでも近くにいたほうがいいだろう。
  
 満員電車では1メートルどころじゃなく、四方八方に他人がいて体を密着させているからそのストレスたるや相当なもんだろう。
 まあ、生きるため、食うため仕方がないってあきらめなければならない。

 俺は、ちょっとでもこの苦痛を和らげるために、ウォークマンで音楽を聴いている。
 主に聴くのは最近はやりのヒーリングミュージックというもので、日本語では「癒しの音楽」というのだろう。
 俺はずっとこういった音楽のことをフィーリングミュージックだと勘違いしていた。
 まことにお恥ずかしいことである。

 今夜も、酔っぱらいに囲まれて新宿発の通勤快速電車に乗っていた。 
 快速という名の電車は、住宅街を縫って走るせいか全く快い速度ではなくどちらかというと痛勤鈍足電車と言った方がお似合いだった。

 混雑して座ることはできなかったので、いつものように連結部近くにある小さなスペースに体を滑らせて吊り革につかまった。
 ヘッドフォンを耳に付け、立ったまま目を閉じ癒しの音楽を聴き始めた。

 ……うん。確かにちょっとは癒される。アコースティックな響き。そして決して急がないテンポ。言葉がない音楽……いろんな情景が俺の頭の中に浮かんでくる。
 一種の退行現象だろうか……昔飼っていた犬のこと、川で泳いだこと、リュックサックを背負って遠足に行ったこと……そんなことが思い出される。
 
 そんな時、突然、曲調が変わり壮大な音楽が流れてきた。
 あっ、なんだ、これ。
 こんな音楽を入れたはずがないんだが。

 その曲がなんだかすぐに分かった。
 ベートーベンの交響曲第9番、いわゆる「第9」だった。
 
 第9には思い入れがあった。
 俺の親父がこの曲を好きで、俺が子供の頃に何回も繰り返しレコードをかけていた。
 あげくの果てに、「歓喜」の合唱部分……これはドイツ語だがカタカナに置き換えて一生懸命覚えていた。
 親父は俺と姉にこの歌詞を覚えさせて一緒に「合唱」させた。
 親子3人が合唱するなんて光景を思い出すとなかなかシュールな場面であるが、そのことを俺は懐かしく感じていた。

 俺の耳元では、交響曲第9番のテノールの独唱が始まった。
 記憶ではこの後に、管弦楽の演奏があって、あの有名な「歓喜の歌」いわゆる「第9の合唱」が始まる。
 ウォークマンに第9なんかを入れたはずがなかったのだが、そんなことも忘れてこの勇壮な音楽に身をゆだねていた。

 管弦楽の演奏が終わり、ほんの少しの間をおいて、例の合唱が始まった。
 よく年末にこの合唱は歌われるけど、やはりなかなかの迫力だ。

ダイネ ツァウベル ビンデン ヴィーデル ヴァス ディー モーデ シュトレング ゲタイルト
アーレ メンシェン ヴェールデン ブリューデル ヴォー ダイン ザンフテル フリューゲル ヴァイルト
 
 
 合唱を聴いていると、思わず親父が書いたあのカタカナの歌詞が脳裏に蘇ってくる。
 ……よく覚えていたもんだ。

 あれ、ボリュームを上げてなんかいないのに、合唱が大きくなってきたぞ。
 なんなんだ、こいつ。
 俺の横に立っている俺より年配の冴えない中年男が、第九を歌ってやがる。
 嫌な野郎だ……たぶん俺のヘッドフォンから音が漏れたんだろう。
 それにしても、なかなかいい声質だ。歌詞なんかも正確に歌ってやがる。
 あっ、なんだ……合唱がテノール部分に入ると今度は俺の目の前の座席に座っている女がソロパートを歌い始めた。
 こいつは、さっきから驚異的早さで携帯電話のメールを打っていたOL風の女だ。
 ……この女は情感たっぷり、そして艶やかに歌った。

 でもこいつらは何者なんだ・・・まったく気持ち悪い。
 
 歌が終わると、なにもなかったように俺の横の男はつり革にぶら下がり疲れた表情で目を閉じているし、前にいる女は、器用な指使いでまたメールを打ち始めていた。

 ヘッドフォンからは、また合唱が聞こえてきた。
 ここからがクライマックスだ。
 すると、まず俺の横の男がいきなり歌い始め、次に前の女も続いた。
 ……またか、こいつらふざけている。

 合唱がどんどんと大きくなって電車内に鳴り響いている。
 まさしく大合唱だ。
 俺の前の座席に座っていた奴ら全員、そして俺の後ろからも歌声が聞こえてきた。
 気がつくと、この電車に乗っている酔っぱらいの男、そして疲れた顔をしていた女全員が歌っていた。
 そしてそれは完璧な合唱だった。

フロイデ シェーネル ゲッテルフンケン トホテル アウス エリーズィウム
ヴィール べトレーテン フォイエルトゥルンケン ヒムリッシェ ダイン ハイリヒトゥム
ダイネ ツァウベル ビンデン ヴィーデル ヴァス ディーモーデ シュトレング ゲタイルト
アーレ メンシェン ヴェールデン ブリューデル ヴォー ダイン ザンフテル フリューゲル ヴァイルト


 俺も、ヘッドフォンを耳から外し、親父が書いてくれたあのカタカナを思い出しながら、腹から声を出して他の乗客に負けないように歌った。
 男性パート、女性パートのバランスも完璧だし、テンポも乱れることはない。
 乗客全員が喜びの表情に包まれていた。
 まさしく「歓喜の歌」だ。

 気がつくと俺は、あの中年男とメール女と肩を組んで歌っていた。
 こんな一体感を味わったことはない。
 なんて気持ちがいいんだろう。
 
 通勤電車は、完璧な合唱を響かせながらゆっくりと次の駅へと向かっていた。 

 (完)

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wish you were here~あなたがここにいてほしい

2007/06/14(木) 21:13:19

 夏の暑さも冬の寒さも、すべての季節を愛しています。
 そろそろ高校最後の秋を迎え、卒業まで残されたのはふたつの季節かと思うと寂しくなります。
 時々、あたしは誰もいなくなった放課後に、ひとり教室に残って思いにふけったりしています。
 高校生活は、とても楽しくて、そして友達や先生に恵まれて充実していました。

 でもあたしには心残りがありました。
 
 好きなひとがいます。
 同級生、そうクラスメイトです。
 
 でもあたしはそのひとの顔も名前も覚えていません。
 好きだった、愛していたこと。その燃えるような気持ちだけを覚えているのです。
 
 あのひとは、クラスメイトですけどクラスにはいないのです。
 転校した訳ではないのに。
 不思議なことでした。
 
 夏休みが終わると、あのひとは消えていました。
 あれっ、と思って、あのひとがいるはずの席を見てみました。
 
 あのひとは、教室の端、一番後の席に座っていたはずなのに、そこからは机自体が消えていました。
 だから、教室内に6列あるその場所だけひとつ机が足りなくて不自然な配置になってしまっています。

 私は、お友達に、「ねえ、ここにいたひと知らない?転校してしまったのかな」と尋ねてみると、みんなが、「何言っているのよ。そんな人いるわけないじゃない。だってうちのクラスは、元々35人じゃないの」という答えが返ってきました。
 
 違う、クラスは36人でした。
 6で割り切れた、という記憶があります。
 そう、6人の机が6列で36人です。
 そして、あのひとがあの一番後の席で、早弁したり、居眠りしていたこと、いつも何かの楽器を演奏していたような記憶もうっすらとあります。

 でも、その姿はぼんやりしています。
 大好きだったことだけを覚えているのです。
 そして、あたしはまだその気持ちをあのひとに伝えていませんでした。
 それが心残りなのです。
 
  時々、あたしは、まったくの思いこみかをしているのかもしれないと考えることがあります。
 お友達に話すと、「あなたは、誰かを愛したいだけよ。それで幻の男性を創っているのよ」と言います。
 そうかも知れません。
 顔も名前も知らないひとを愛しているなんて……

 ふたつの季節が過ぎて桜が芽吹き始めました。
 とうとうこの高校ともお別れです。
 
 卒業式の日は、友達と別れること、高校3年間の楽しかったこと、つらかったことを思い出して自然と涙が出てきました。
 でも、その涙の一部は、あたしが好きだったひとのことを思ってのものでした。
 あたしが愛した幻のひとです。

 校長先生の最後のお話が始まりました。
 私は、さりげなくその席を立って、講堂からひとり抜け出しました。
 最後の最後に、自分のクラスに戻ってあのひとのことを捜してみたかったのです。

 がらんとした廊下を歩き、自分のクラスに近づきました。
 遠くから、フォークギターの音色が聞こえてきました
 そう、あのひとはギターがすごく上手でした。
 
 あのひとの顔、声が私の中で蘇ってきました。
 名前も突然思い出しました。
 素敵な名前のひとでした。
 そう、私が大好きだったひとです。
 やっと会えます。
 何から話し始めようかしら。

 教室に着いて、ドアの前に立ちました。
 まだギターの音は続いています。
 私は、ドアを開けて教室の中を見ました。

 あのひとは、一番うしろの机に座ってギターを弾いています。
 机は、ちゃんと36個あります。
 あのひとも、あたしに気づいてくれたようです。
 あたしがとても気に入っていた素敵な笑顔です。
 私は、幸せをかみしめながら彼のもとにゆっくりと歩いていきました。

 でも、あのひとは、「来ちゃダメだよ。卒業式に戻らなきゃ。さもないと……」と言っています。
 その意味はなんとなく分かりました。
 でも、あたしはあのひとと一緒にいることができれば何を失ってもいいと思っていました。
 
 私はあのひとの机の横に立ち、ギターを弾いていた大きな手を握りました。
 「高校最後の日に、やっと会うことができたのね。」

 あのひとは、素敵な笑顔であたしを見つめると、あたしを強く抱きしめました。


___________
卒業式が終わり、生徒たちが教室に戻ると、ふたつの机が空席だった。
 でも誰ひとりとして、そのふたつの空席に誰がいたのかを思い出すことができなかった。 

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(以前書いた物を手直しして再掲してみました。結果として「手直し」となったかは自分ではわかりません。)
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ボール

2007/06/13(水) 23:29:00

 2車線の国道にその犬はいた。いたというよりも死んでいた。口にくわえたボールは潰れているようだ。茶色の毛は長く、しっぽが太かった。腹の部分はぺったんこになっていてアスファルトと区別するのは難しかった。顔の右側は道路にめりこんだようになっていたが、左側は比較的きれいだった。眼は開いているようにも見えたが、角度によっては閉じているようにも見えた。くわえているボールは黄色に見えたが血で染まり黒ずんでいた。首輪はしていなかった。
 しっぽが太かった。毛は茶色だったが腹はぺったんこでアスファルトと区別するのは難しかった。

 今日は、ご主人様の車に乗ってずいぶん遠出をしてきた。
 とても広い野原だ。
 木がたくさん生えていて、花もたくさん咲いている。
 鼻をクンクンとさせるといい臭いがして、うれしくなったので尻尾を思い切り振った。
 
 ご主人様は車を降りると、ボクの首輪を外してくれた。
 何でだろう。
 でも、首の付近が軽くなったような感じがした。

 ご主人様は、こんな広い場所なのにボクの傍に座ったままだった。
 ボクの背中や頭を撫でてくれている。
 
 何か悲しそうな顔をしているけどどうしたんだろう。
 
 あっ、ボクの大好きな黄色いボールを取り出してくれた。
 早く投げてくれないかな。
 ご主人様の顔を見上げた。

 幸い、道路の端でその犬は死んでいたから、顔だけはそれ以上轢かれることはなかった。顔の右側は道路にめりこんだようになっていたが、左側は比較的きれいだった。眼は開いているようにも見えたが、角度によっては閉じているようにも見えた。口にくわえているボールは潰れていた。しっぽが太かった。腹の部分はぺったんこになっていてアスファルトと区別するのは難しかった。

 あっ、ご主人様がボールを投げた。
 ずいぶん思い切り投げたな。
 
 ボクは、一目散にそのボールを取りに行った。
 木の陰にそのボールは入り込んでしまって、やっとボールをくわえることができた。
 早くご主人様のところに戻らなければ。
 そして、もう一回投げてもらおう。

 あれ、ご主人様がいない。
 車もなくなっている。

 そうか、ボクを驚かせようとしているんだな。
 でも、そこら中を探し回ったけどご主人様は見つからなかった。
 
 もしかしたらボクのことを忘れて、家に帰ってしまったのかな?
 ここからだと家に帰れないけどどうしよう。
 道は全然覚えていない。

 腹の部分はぺったんこになっていた。アスファルトと区別するのは難しかった。口にはボールをくわえていたが潰れていた。茶色の長い毛の犬だった。しっぽが太かった。眼は開いているのか閉じているのかはっきりしなかった。角度によっては開いているようにも見えた。くわえているボールは黄色に見えたが血で赤黒く染まっていた。

 とにかく走り続けた。
 ボールはくわえたままだ。

 息が切れて、口から泡が吹き出してきた。
 でも止まるわけにはいかない。
 途中に、大きな車がたくさん通っているけど、そんなのは構っていられなかった。
 
 だいたい方角は分かっていた。
 もう暗くなっている。
 
 走れなくなってしまった。
 でも、もう少しだ。がんばろう。
 もうすぐ、ご主人様が食事を出してくれる時間だ。

 あっ、ボクの家の灯りが見える。
 そう、オレンジ色の灯りだ。

 なんか、その灯りがふたつに見えるぞ。
 疲れているからかな。

 ボクはその灯りめがけて最後の力を振り絞った。

 2車線の国道にその犬はいた。いたというよりも死んでいた。口にくわえたボールは潰れているようだ。茶色の毛は長く、しっぽが太かった。腹の部分はぺったんこになってアスファルトと区別するのは難しかった。顔の右側は道路にめりこんだようになっていたが、左側は比較的きれいだった。眼は開いているようにも見えたが、角度によっては閉じているようにも見えた。くわえているボールは黄色に見えたが血で染まり黒ずんでいた。首輪はしていなかった。
 しっぽは太かった。毛は茶色だったが腹はぺったんこになっていてアスファルトと区別するのは難しかった。
 口には血に染まり黒ずんだ色のボールをくわえていた。
 茶色の毛は長く、しっぽが太かった。
 ボールは潰れていた。

(gooブログからの再掲。文体は、「本当の戦争の話をしよう」というベトナム戦争体験の短編をヒントにしました。後味が悪い話だと思いますが、自分の中ではいつまでも印象に残るものとなりました。)
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新宿駅西口地下通路

2007/06/13(水) 11:49:42

 俺は、毎朝この新宿駅西口通路を通り電車を乗り換え通勤している。
 広さは、400メートルトラックがある陸上競技場程度であろうか。
 この場所では大きな波がふたつできる。
 ひとつめは、私鉄駅からJR駅へ向かう人たちがつくる波
 もうひとつは、逆にJRから私鉄駅に向かう人たちがつくる波
 
 この大きな波を構成するのは、一様に不機嫌な表情をしたサラリーマンやOLだ。
 もし、この波を俯瞰することができれば、それは、さながらNHK大河ドラマにある合戦シーンのようだろう。
 もちろんふたつの波は、それぞれ敵同士ではないが、まるっきり正反対の動きをする行く手をじゃまする存在であることは間違いがない。

 俺は、学生時代ラグビーで鍛えたフットワークで、向かってくる人の波を身軽によけて乗換駅に向かう。
 その姿は、合戦にたとえればおそらく切り込み隊長のようだろう。
 現に、俺の華麗なフットワークにあやかって、俺の後ろを付いてくる要領のいい奴らもいるほどだ。
 
 人の波をすり抜けるコツは、向かってくる奴の目を見ることだ。
 人間は、まず視線を動かしてから体を移動するものだ。
 その動きはごくわずかなものだが、俺はそれを見逃すことがない。
 視線が読めない場合は、体の重心移動を読みとることにしている。
 わずかに右、あるいはわずかに左と、重心が移った方に人間は進路を変える。
 俺は、毎朝、この新宿駅西口通路で、こういったことを読みとっているから、向かってくる人間とはぶつかったことはなく、誰よりも早く乗換駅に到着することができる。
 まさしく新宿駅西口通路を制した王者・キングオブウエストゲートといえるのではないだろうか。

 そんな俺でも動きが読めない人間がいる。
 それは、メールを打ちながら、あるいは電話をしながら歩いてくる奴らだ。
 経験上、なぜかこういったことをしているのは女が多い。
 男の場合は、たいてい立ち止まってやっている。
 そういった意味では、女の方が一度に複数のことをやる能力が優れているのかもしれない。

 俺にとってそんな女はやっかいな存在だ。
 まず、そんな女は人の波の中でのスピードが違うし、予想に反するような動きをする。
 さっき話した視線を読むことも、重心移動を読むことも不可能に近い。
 
 そんな女が俺の方に向かってきた。
 距離は10メートルほどあるだろうか。
 紺のビジネススーツに白のブラウスの襟をのぞかせた出で立ちで髪の長い女だ。
 女は携帯電話の画面を見つめて、しかもハイヒールであるにもかかわらず器用に人の波に乗って歩いている。
 俺がこのまま真っ直ぐ歩いたとしたら、この女にぶつかってしまうことだろう。
 既に女との距離は3メートル足らずになった。
 女は、あいかわらず携帯電話を見つめている。
 俺は、自分の進路を約5度ほど右へ変えた。
 すると何を思ったのか、女は進路を俺とほぼ同じ角度で左へ変えやがった。
 キングオブウエストゲートを誇る俺がこんなメール女に進路をじゃまされてたまるか。
 俺は、右へ変えた進路を今度は約10度左へ変えた。
 通常、これだけ角度を変換すれば対向する者との接触は回避されるはずだ。

 しかし、信じられないことにこのメール女はまた俺とほぼ同じ角度で進路を右へ変えやがった。
 もう女との距離はない。
 残念なことに、俺は立ち止まってしまった。
 新宿西口通路で初めてのことだった。

 俺とメール女は、動き続けるふたつの人の波の中で、唯一動くことがない漂流物のような存在となってしまった。

 俺は、頭ひとつ低い女を見下ろして怒鳴った。
「おい、こんなところでメールなんか打ってるからだぞ」

 女は、一瞬戸惑いの表情を見せたが、
「すみませんでした。職場に急ぎで連絡しなければいけなかったものですから」
と素直に謝った。
 そう言った女の顔をよくよく見ると美人であることに気づいた。
 かすかに石けんの香りが漂ってくる。

 今時、こうやって素直に謝ることができる女は珍しい。
 最近は、ちょっとしたことでキレル女ばかりが多くなっている。
 いや、これは偏見だろう、もちろんキレルのは女だけではない。

 まあそんなことはどうでもいい。
 この場で立ち止まってしまったが、それはほんのわずかな時間だ。
 また、颯爽と人の波をくぐり抜けていけば挽回できるだろう。
 俺は、
「いいえ、こんな場所では人とぶつかって思わぬ事故となってしまうことがありますから、お互いに気を付けましょうね」
 などと、まるで小学校の先生のような口ぶりで言った。
 女は俺を見上げて、うなずきながらわずかに微笑んだ。

 さて、先を急がなければ。
 俺は、立ち止まっている女の右側を抜けて進もうとした。
 すると女が、左に移動して俺の進路を塞いだ。
 いや塞いだのではなく、お互いに同じ方向に進もうとしたのだ。

 俺は苦笑いをして、また進路を変えようとした。
 すると女もまた同じ方向に動いた。
 
 さすがにイライラしてきた。
 俺は、もう進路を変えることはあきらめそのまま真っ直ぐに進むことにした。
 つまり突進して進路を確保することにしたのだ。
 あろうことか、この女も同じことを考えたらしい。
 俺たちは真っ正面から激突して、恥ずかしいことに新宿駅西口通路で俺が女に覆い被さるように倒れてしまった。

 倒れる瞬間に俺は女の体が通路にぶつからないようにかばってあげたので幸い怪我することはなかった。
 俺たちの周りには、人だかりができ、物珍しそうに朝の見せ物を観察していた。

 俺の下に倒れている女は、俺の目をじっと見つめると小さな声で、
「ありがとう」
と言った。

 俺は彼女の両手を取り、起こしてあげた。
 驚いたことに起きあがった女は、俺の体に手を回して抱きしめてきた。
 もちろん俺も、女を強く抱きしめてやった。

 すると俺たちの周りにいた奴らから拍手が起こった。
 どうやら俺たちを祝福してくれているらしい。
 その拍手の音は新宿駅西口通路全体に響き渡るほど大きなものになった。

 しばらくすると、拍手もやみ、そしてまたふたつの波はそれぞれが目指す方向へ流れ始めた。

 しかし俺と女だけは、あいかわらずその大きな波の中で動くことを忘れた漂流物のようにその場にとどまり抱き合っていた。

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淫らな太もも(18禁)~後編

2007/06/10(日) 11:14:53

注 ますます表現が露骨になっていきます。Adults Only!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 俺は、危うく痴漢となるところだった。
 電車が停止してドアが開いた。
 ひとときの夢だったんだな・・・・・・そう思って彼女から体を離し電車から降りた。
 俺の右手は、彼女の柔らかい胸まであと数センチのところだった。
 どうせなら触ってしまえばよかった。彼女もそれを望んでいたはずだし……あいかわらずそんな妄想にとりつかれていた。

 俺のマンションは駅を降りてから歩いて15分かかる。
 駅前だけはけっこうにぎやかだが、5分も歩くと人家も少なくなり田んぼがあるような郊外の駅だ。

 俺は、いつものように煙草をすいながら家に向かっていた。
 
 あっ、彼女だ。
 さっき電車の中で俺と密着していた女だ。
 俺の10メートルくらい前を歩いている。
 あんなきれいな女が俺と同じ駅を使っていたんだ。
 それに帰る方向まで一緒のようだった。
 後ろから見る彼女の足はブーツに隠されていたが、まっすぐでとてもきれいな足だった。
 歩くたびに形の良い尻が左右に揺れている。

 やはり彼女は俺を誘っているんじゃないのか?
 その証拠に時々チラチラと振り返って俺の方を見ている。
 これだけ離れていても、あの新緑の薫りが漂ってきた。

 駅から俺のマンションまでは交差点を3回右に、そして2回左に曲がる必要がある。
 彼女の後を歩き3回右に曲がったところだ。
 そして彼女は次の交差点を……やはり左に曲がった。

 もう確信していた。
 彼女は俺の住んでいるところを知っているのだ。
 もしかしたら俺のストーカーかもしれないが彼女だったら大歓迎だ。
 彼女は絶対に俺を誘っているのだ。
 俺の淫らな欲望が再度高まってくるのを感じた。

 彼女は最後の曲がり角も左に曲がった。
 あと100メートルほどで俺のマンションに着く。

 俺は足を速めて彼女に近づいていった。
 すると彼女は振り返り、ニコっと微笑んだ。
 その笑顔を見て、俺の欲望ははち切れんばかりとなってたまらず走り出した。

 すると彼女も走り出した。
 まるで俺から逃げるように……。

 俺は全速力で彼女を追った。
 彼女は、尻を激しく左右に揺らしながら俺と同じように全速力で走っていた。
 俺と彼女の差はまったく縮まらない。
 おまけに俺のマンションは、とっくに通り過ぎてしまっている。

 彼女の走法は完璧だった。
 あごを引き、太ももを高く上げ、腕を大きく振っている。
 まるで陸上の選手のようだった。

 負けてはいられない。
 俺の性欲は異常に強いのだ。
 しかし今は、性欲というよりも獲物を狙う肉食動物のような狩猟本能が俺の中で目を覚ましたようだった。

 俺は学生時代ラグビーの選手だった。
 だから足には自信がある。
 
 少しずつだが彼女との差が縮まってきた。
 もうすこしだ……。

 俺はやっと彼女に追いつき、そして併走していた。
 横目で見ると、彼女の形の良い胸が上下に大きく揺れていた。

 とうとう俺は彼女を抜き去った。
 さっきとは逆に10メートルくらい差をつけることができた。

 俺は振り返って確かめた。
 すると、彼女は、ものすごい形相でスピードアップしている。
 スリットスカートがめくれてきれいな白い太ももが見え隠れしている。
 太ももの筋肉がダイナミックに躍動している。
 どうやら彼女はまた俺を抜き去るつもりらしい。
 
 負けてたまるか…俺は力を振り絞って走り続けた。
 しかし、彼女の持久力のほうが勝っているようだ。
 ハッハッ、スースー、ハッハッ、スースー、というプロの長距離走者がやる規則的な呼吸が聞こえてくる。
 
 とうとう彼女は俺に追いつき、そしてまた併走することとなった。
 あいかわらず形の良い胸はその弾力性を誇るかのように上下に揺れている。

 既に30分は走り続けているはずだ。
 俺と彼女はお互いにもう追い抜いたりするようなことはなく、きれいに隣同士でペースをあわせて走っていた。
 俺も彼女をまねてハッハッ、スースー、ハッハッ、スースーと呼吸をしている。
 これこそ文字通り息が合うってことだろう。

 彼女となら、こうやって息を合わせてどこまでも走っていけそうだ。
 心と体がひとつになるってのはこういったことだろう。

 俺の隣の彼女は、あいかわらず形の良い胸の弾力性を誇るかのように上下に揺らしながら走っている。
 スリットスカートがめくれてきれいな白い太ももが見え隠れしている。
 太ももの筋肉がダイナミックに躍動している。
 そして俺は彼女のきれいな髪から漂ってくる新緑の薫りを味わいながら呼吸を続けていた。

 彼女となら、こうやって息を合わせてどこまでも走っていけそうだ。
 呼吸も一緒なら、今や走るペースも完全に同じになった。
 心と体がひとつになるってのはこういうことなんだろう。

 もちろん目的地なんてなかった。
 そして俺の淫らな欲望はすっかり消え失せ、純粋に走ることを愉しんでいた。
 
 彼女と一緒にこうやっていつまでもいつまでも走り続けることさえできればそれでよかった。

 (淫らな太もも 完)
 
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淫らな太もも(18禁)~前編

2007/06/10(日) 10:10:27

注 初めて官能小説に挑戦してみます。あまりにも過激かつ露骨な描写がありますでの18歳以下の良い子は読まないでください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 目の前の快楽に抵抗するのはかなり難しいことだ。
 たとえば今、俺の横に体のいたるところからフェロモンが発散しているような女がいたとしたら、俺の倫理観、道徳観などいっぺんに消え去ってしまうことだろう。
 動物としての原始的な欲求ってのは本当にすごいものだ。
 その中でも性欲ってのが一番じゃないかと思う。
 そもそも性欲ってのは、自分の種を絶やさないっていう生き物の根源的なところにある欲望だから、ちょっとやそっとの倫理観ではこの欲望に勝てはしない。
 まあ、現実の俺にとってこの欲望は、種の保存だとかの崇高なことではないのだが……。

 しかし例の大学教授の欲望もすごいもんだ。
 俺はあのニュースを知って大笑いして、その後いろんなことを考えたが、みなさんはいかがだろうか?
 たかが、女子高生のパンツ一枚で社会的成功・社会的身分を捨て去るというのだから。
 思うに社会的成功を得ている人間は、ほぼ性欲が強い。
 だからこそ愛人騒動だとか妾だとかのスキャンダルも多いわけだ。
 というよりも性欲に限らず、立身出世欲、独占欲、向上心などすべての欲望が強いからこそ成功を収めたと考えてもいいのだろう。

 前置きはこのへんにしておこう。
 そうこれは官能小説である。
 繰り返して警告しておくが、ここまで読み進めてしまった未成年諸君はどうかこれ以上読むのをやめてほしい。
 ここから先は過激な描写が頻繁に出てくるからだ。


 俺は人並み、あるいは人並み以上に性欲が強いほうだと思う。
 しかし、その人並みって基準は曖昧なものだから、あくまでも俺自身の尺度にすぎない。
 もちろん俺は婦女暴行だとか痴漢だとかはやらないといった倫理観を持っている。
 でもこうやって満員電車の中で、女が俺の体に密着しているとその倫理観もあっさりと崩れ落ちていく。
 
 今日は職場で安酒を飲んでいた。
 適度のアルコールっていうのはどうやら性欲を高めるようだ。
 いつもなら帰りの満員電車は苦痛以外のなにものでもないが、今日だけは違った。
 
 電車の揺れにあわせて、俺の前にいる女の体が微妙に動き、その柔らかさや、女性特有のくびれやら出っ張りを感じていた。
 年の頃は、30前後だろうか。
 タイトなスーツに、スリットの入ったスカートを履いていた。
 長くてきれいな髪の毛からは新緑の薫りが漂っている。
 
 もちろん、ここで俺が彼女の体をまさぐったり、あるいは、スカートの中に手を入れたりしたら、一生痴漢の汚名を背負って生きていかなければならない。
 しかし、それでもいいから彼女の柔らかい体、形の良い胸を触りたい気持ちが強くなってきた。
 俺の顔を上目遣いに見る彼女は、「どうぞ、わたしの胸を触ってください。形が良いうえに柔らかいのよ」と訴えているように感じる。
 
 もう、だめだ。俺の社会的身分なんて、どうせたいしたことはない。
 目の前にあるこの快楽に飛びつかないなんてことはできない。

 俺は、左手に持っていた新聞紙を利用して、右手を彼女の胸に近づけた。
 その時、がらがら声の車内アナウンスが俺が降りるべき駅名を告げた。
 
 あまりにも早い、早すぎる…いつもは長いと感じる電車通勤なのだが、今日はその時間感覚が狂うほど彼女に熱中していたのだ。

(前編了 つづく)
 
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※ 蛇足 欲望だとか女性に関する描写はあくまでも私の妄想によって生まれたものです。あくまでも作り話として読んでいただければ幸いです。
 
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空中ブランコ乗りのキキ(創作続編)

キキは、穏やかな海の上をゆっくりと羽ばたいていました。
 潮の香りがする空気をふたつの翼で包みながら前に進みます。  四回宙返りを成功したときのお客さんの拍手がまだキキの耳に残っています。  三回宙返りを成功させたときよりも、大きく、賞賛と喜び、そして驚きがこもっている拍手でした。  キキは、そのことにとても満足していました。
キキは、自分が白鳥になってしまったことを受け入れることができました。  賞賛と拍手をもらい、そして、世界の誰にもできない四回宙返りができたのですから。
   キキは、ロープも網もない大空で宙返りをしてみました。  三回、四回、そしてそれ以上何回転でも、いとも簡単に宙返りができました。
 それはそうです。
 白鳥になってしまったキキにはふたつの翼があるからです。
 大空でいくらキキが上手に宙返りをしても、誰からも拍手をもらえません。  それが少しだけ残念に思いました。
   キキは、ある日の夜、こっそりとサーカスの大テントに戻ってしまいました。  もう2度と戻らないと決心していたのに、どうしてもピエロのロロや団長に会いたかったのです。
 キキは、開けっ放しだった大テントの窓からこっそりと中に入っていきました。  もう夜でしたから、出し物は終わっていて、大テントの中は暗くてガランとしていました。  2回ほど羽ばたいて、あの空中ブランコの踏み板までやってきました。
 キキは、もういちど四回宙返りをやってみることにしました。  自分の力を試したかったのかもしれません。  だから、ふたつの翼を使うつもりはありませんでした。  そして、あのおばあさんからもらった、澄んだ青い水の入った小瓶もありませんでした。
 キキは、くちばしを使ってブランコにつかまりました。  そして、あの時と同じように、大きくブランコを振って、真っ暗な天井の奥へ向かって飛び出していました。   キキは翼を伸ばしました。でも羽ばたきはしません。
  一回転します。
  また花が開くように翼が伸びて、抱き抱えるようにつぼんで…二回転。今度は水から跳び上がるお魚のように跳ねて…三回転。  しかし、三回転半したところで、次のブランコまでは届かないことに気づきました。
   ブランコの下には網も張っていません。  白鳥になったキキですから、羽ばたけば固い地面に落ちることはありません。  でも、キキは、けっして羽ばたこうとはしませんでした。  まるで猟銃で撃たれてしまった鳥のように頭から落ちていきます。
 キキは、同じようにブランコから落ちて亡くなってしまったお父さんのことを思っていました。
   …お父さん、わたしはもうすぐ、そっちに行くから、待っていてね。
 そのときでした。  落ちていくキキの体を誰かがつかみました。  つかんだのは、キキと同じような白鳥でしたが、ずいぶんと年をとっているようです。  キキは、その白鳥のクチバシで体を優しくくわえられて、ふわりと着地することができました。
 …ありがとう。お父さん。
 キキには分かっていました。  あの年老いた白鳥がキキのお父さんだったことを。
 キキの足下には、一本の真っ白い羽が落ちていました。  キキは、その羽を拾いあげました。  それは年老いた白鳥の羽でした。
 不思議なことに、キキの体からは羽がなくなっています。  そう、すっかり人間の体に戻っていたのです。
 近くから大きな拍手が聞こえてきます。そして、ライトが一斉について大テントの中はとても明るくなりました。   ピエロのロロと、団長がキキの近くにいて笑顔で拍手をしています。  そしてふたりは、泣き笑いをしながらキキを抱きしめました。
 キキの目からも涙があふれてきました。   涙をぬぐいキキが入ってきた大テントの窓を見上げると、年老いた白鳥が、じっとキキの方を見ていました。
   その白鳥は、キキを力づけるかのように大きな鳴き声をあげると海の方へと飛んでいきました。  それいらい、誰もその年老いた白鳥を見ることがありませんでした。
 キキは、サーカスのブランコ乗りに戻りましたが、やはり三回宙返りがせいいっぱいで四回宙返りは、どうしてもできませんでした。
   でも、町の人々は、まるで翼が生えたようにいっそう華麗になったキキの演技に満足して、その姿をうっとりとして見ています。  注意深くキキの姿を見ると、白い羽の髪飾りを付けています。
 キキは、この町に、そしてこの大テントに戻ってきたのです。  
 空中ブランコ乗りのキキが戻ってきたことで、人々のどよめきが、潮鳴りのように町中を揺るがして、その古い港町をふたたび活気づけました。  人々はみんな思わず涙を流しながら、辺りにいる人々と、肩をたたき合い大きくて、賞賛と喜び、そして驚きがこもっている拍手が鳴りやむことはありませんでした。

あたしの風

あの男性(ひと)がやってきたのは2学期の途中、そうです、そろそろ秋の気配を感じる風が吹き始めるころでした。   教室の大きな窓から吹き込んできた風のようにあのひとはやってきました。
 転校生でした。
本当に冷たい風のようなひとでした。  でも、あたしには、その風がとても心地よかったのです。   お風呂に入った後、お散歩に出かけた時に感じる風のように。  クラブ活動を終えた帰り道に、あの丘の上で感じる風のように。  遠足で行った高原で、あたしの頬を一瞬なでる風のように。  あのひとは、遠く遠くから風と一緒にやってきました。  この田舎町よりも、ちょっと都会だったようです。  クラスメイトも、そしてあたしも、その風が教室内で吹くことにためらいがありました。
 だって、  その風は、香りが違ったからです。
 その風は、ぬくもりがなくて冷たかったからです。
 その風は、少し湿っていたからです。
 でも、
 あたしは、その風に優しさを感じていました。
 あたしは、その風に抱かれてみたいと思っていました。
 あたしは、その風を思い切り吸い込んであたしの中に入れてみたいと思っていました。
いつもは優しいあたしのクラスメイトも、その風が教室に流れ込むことを許しませんでした。
   なぜでしょうか。
やはり、
 その風は、香りが違ったからです。
 その風は、ぬくもりがなくて冷たかったからです。
 その風は、少し湿っていたからです。
 あのひとが連れてきた風は、そのうち、すっかり弱々しい風になってしまいました。
 もう風ではなくて、教室にある普通の空気に混ざってしまい、あの香りはなくなってしまいました。  クラスメイトも、馴染めなかった新しい風が吹かなくなって安心しているようでした。
    3年生になっても、あたしはあのひとと同じクラスになれました。  もう、あのひとには、あたしの好きな風を感じることができません。
そして、その日は、突然やってきました。  やっぱり、2学期の途中、そろそろ秋の気配を感じる風が吹き始めるころでした。   朝のホームルームの時間に、あのひとは教室の前に立って、みんなに別れの挨拶をしていました。  あのひとは、やってきた時とくらべると全然元気がなくて、まるで空気が抜けた風船のようにしぼんでしまったように感じました。  通り一遍のあいさつが終わりました。  その時、あたしは、あの心地よい風を肌に感じていました。  だから、あたしは立ち上がって、開けっ放しだった教室の大きな窓を急いで閉めました。
   この風は、絶対にこの教室から出したくありませんでした。
 だって、  あたしは、その風に優しさを感じていました。
 あたしは、その風に抱かれてみたいと思っていました。
 あたしは、その風を思い切り吸い込んであたしの中に入れてみたいと思っていました。
 あのひとは、そんなあたしの姿をちらっと見ると、大きなスポーツバッグを持って、ほとんど無表情で教室から出て行ってしまいました。
 あたしのことを、クラスメートが不思議そうに見ていましたけど、そんなことはかまいませんでした。  徐々に、あのひとの風が教室から消えていってしまいました。
 なぜだか説明はできないけれど、あたしは教室から出て、あのひとの後を追いかけました。  あのひとの姿はみえなくても、あのひとの後には、あの素敵な香りが残っていました。
 あのひとは、あの丘の上に立っていました。  そこには、強い風が吹いていて、あたしは今にも吹き飛ばされてしまいそうでした。   やっと、あのひとのそばにたどり着きました。  あのひとは、あたしに向かって言いました。  でも風が強くて、とぎれとぎれにしか聞こえてきません。
「ぼくの… 風はきみに… でも… ここから離れても… いつか…きみと… この風に気づいたら… いいかい?」
 あたしは、
「もちろんよ。あたしをあなたの風で包んでちょうだい。そして、一緒に連れていって。」
 こう言って、目を閉じました。  すると、風があたしの体をすっぽりと包んでいることに気がつきました。
 その時、
 あたしは、その風に優しさを感じていました。
 あたしは、その風にもっと長く抱かれてみたいと思っていました。
 あたしは、その風を思い切り吸い込んであたしの中に入れてみました。
 風がだんだん弱くなって、心地よい香りだけがあたしのそばに残っていました。  目を開いて見ると、あのひとはいなくて、丘の下、遠くの方で土埃が舞っているのが見えました。  それ以来、あのひとと連絡はとれていないし、どこにいるのかも分からなくなってしまいました。
 でも、あたしは時々、あの丘で風が吹くのを待っています。
 あのひとは、絶対にあたしを迎えに来てくれるはず。
 その時には、優しい風に抱かれて、そしてその風を思い切り吸い込んであたしの中に入れてみようと思っています。  あのひとは、それを許してくれるはずです。
   優しい風であたしを包んで、あなたの住む街に連れていって…。 

My Emotional Supports

好きな作品を集めてきました。

マイク・オールドフィールド初期の傑作
まだ見ぬ風景を見たい方へ
Incantations
Incantations

こんなコンサートはマイクにしかできません
まさしく尋常ではない盛り上がり
アート・イン・ヘヴン・コンサート ザ・ミレニアム・ベル-ライヴ・イン・ベルリン
アート・イン・ヘヴン・コンサート ザ・ミレニアム・ベル-ライヴ・イン・ベルリン

レムといえばこの作品
その世界に身を委ねてください
ソラリス
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筒井作品としてはマニア度が問われるものです
筒井上級者?に薦めます
脱走と追跡のサンバ
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筒井康隆 七瀬シリーズ3部作
こちらはどなたでも楽しめます 1作読むごとに感動が増していきます 人間心理・家族心理への深い洞察
家族八景 七瀬ふたたび エディプスの恋人
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エディプスの恋人

ディックを読むと現実世界が急に危ういものになってしまいます
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
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人生で必要なことはすべてここに書いています
毎日1ページでも読みたい本
7つの習慣―成功には原則があった!
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シベリウスのシンフォニー全集 第1番から第7番までのボックスセットです
母国のオーケストラによる演奏はシベリウスへの愛情が感じられます
Sibelius: Complete Symphonies; Violin Concerto; Finlandia
Sibelius: Complete Symphonies; Violin Concerto; Finlandia

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